家紋に関する法律・制度

 豊臣時代に衣服に勝手に菊桐の紋を付ける者が多くて、禁令が出されました。
それによると、使用を許可された者以外は使用を禁止、また衣服を拝領した者は、その着用は、その衣服を着用している期間に限られて、もしその衣服を染め替えしたり、他の衣服にその紋を付けることなどを禁止されました。
諸大名も領内での菊桐紋の取り締まりをしたことでしょう。

 徳川時代になると、この禁令もゆるみ、諸大名旗本衆はじめ商家の商標にまで勝手気ままに使用し始めたようです。
「葵」紋も何時しか公然と使用する者が出現し、なかには不法を働く者まで出るに及んで、幕府は葵紋禁止の法令(享保八年{1723}二月二十八日)を発布しました。
  更に厳しく使用を定めた法令を明和五年六月に発令し将軍家及びその一門の外は使用を厳禁として、「葵」紋の権威を高めました。  

 しかし、慶応3年の大政奉還で将軍職の廃止と共に「葵」紋の権威は失墜し、代わって王政復古により、菊花紋が絶対の権威を持つにいたりました。
 明治政府は、明治元年{1868}・二年及び四年に太政官布告で由緒の有無に関わらず、皇族以外は菊花紋の使用を厳禁いたしました。十六葉の菊花紋は天皇のみ、皇族は十四葉一重裏菊を用いるよう定められ、菊花紋が皇室の独占紋となり現在に至っています。
 さて、菊花紋は皇室の定紋で、桐紋は「替え紋」の様(政府の褒賞関係)に現在も使用されております。
  「桐紋」にも菊花紋と同様の禁令が幕府から出されていたにもかかわらず、勝手に使用する者が多存在していて取り締まれなかったようです、維新以後も桐紋の使用は不問にされ、庶民が使用することも黙認されてきました。
しかし、皇室の御紋章して、現在も「桐紋」は政府が発行する叙勲等の賞状や令書などに使用されています。