日:
 日は太陽を表したものですが、太陽単独では描かれず、雲を添えたり、放射状の光芒を添えています。
光芒を添えた家紋を「日足」といいます。その代表的な形態が勲章の「旭日章」です。日足紋は光芒の数によって六日足・八日足・十二日足があります。
 
 

 

月:
  「日本書紀」に出てくるツキヨミノミコト(月読尊、月弓尊、月夜見尊)は、国生みの後に「 日の神」が生まれ、その次に生まれたのが「月の神」である。つまり、昼夜の原理を代表する二神の誕生は、 太陽神を女性とするのに対し、月陰神を男性としている。 此の日の神が保食(うけもち)神の様子を月読神に伺わせたところ、口から飯、魚、獣肉などを 吐き出して奉ったので、腹を立てて切り殺した。以後 日の神の怒りをかい一日一夜隔てて暮ら すことになった とする日月交代神話がみえます。
 月読みの意味は、暦が無かったころ、月齢を数えることが農耕生活上重要な作業でもあった。 満月をモチ月と呼んだのは餅を供えた民俗の反映と思われます。
  八月十五夜の月の出を待つ「月待ち」の行事は、共同飲食して収穫を兼ねた神祭りの折り目と したようです。
  戦国期に山中鹿之助が主家再興のため「我に七難八苦を与えよ」と三日月に祈ったのは有名です。

月星:


    月に星


   月に北斗星

月星紋は「妙見菩薩」信仰から形成された紋章と言われています 。
妙見菩薩は「軍神」と崇められ、武士の間に盛んに信仰されました。七曜・九曜・十曜紋も、この信仰から生まれたものだ、とも伝えられています。  
  妙見菩薩像は、種々の形態があるとはいえ、その形態は概して、童(わらべ)形で、甲冑をつけ、弓手に宝珠を提げ、馬手に剣を持ち、白蛇を腰にまとい、亀を足下に踏み、七星を円光にしている像です。これは北極星の化身で堂々たる武神です。
  この信仰は中国の漢代にあり、「玄武」すなわち「北極星=北辰」崇拝が起源と伝えられています。  「北辰」=「北極星」は別名「破軍星」の名前もあるため武人の間に広まったのでしょう。
 日本へは佛教と共に伝来したのですが、北辰崇拝と佛教とが混在したまま、菩薩として崇拝されました。それ故、妙見菩薩を祀っている祠堂は「○○宮」と言われ、道家も佛家もともにこれを祀りました。
 月星紋使用家で有名なのは千葉氏で、一族の家紋としました。伝説によると、千葉良兼・良文兄弟が合戦で妙見菩薩のおかげで勝利したのを契機に尊敬し、以後子々孫々妙見を守護神と崇めるようになった。武蔵・相模・上総・下総など千葉氏が転居する都度、居住地に必ず妙見菩薩を勧進して、延命長寿・怨敵降伏の祈祷をしたのでしょう。千葉一門は月星紋はもとより、六曜・七曜・八曜・九曜・十曜の家紋を使用しました。

曜星 :
 「曜」は輝く日月星紋の総称です。
天体にきらめくすべてが、古代社会の人々にとっ驚異であり、信仰の対象とされました。
今日私たちが何気なく使っている曜日の日曜、月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、土曜の七曜制もその一つです。

九曜:


  九曜曼陀羅の位置

 九曜星信仰は日月火水木金土の七曜に「羅ご(ラゴ)・計都(ケツ)」の二星を加えたもので、古代インドで発生した占い術をいいます。
 その配置は土星を中央に、水と火、日と月、木と金、羅と計 対称になっています。
  これに佛を配置して、ラゴを不動明王・土曜を聖観音・水曜を弥勒・金曜を阿弥陀・日曜を千手観音・火曜を虚空蔵・計都を釈迦・月曜を勢至・木曜を薬師とし、これを図面に描いたものを「九曜曼陀羅」といいます。
  九曜は、天地四方を守護する仏神として信仰の対象となっています。
 平安時代に「九曜曼陀羅」は真言のご本尊として崇拝されました、中でも、この九曜文様が「道途の安全の守護」今で言う「交通安全」の霊験あらたかな「おまじない」だ、ということで、公家衆の輿車・牛車・網代輿・雨眉車・文車等の多くに描かれたと伝えられています。
 九曜が家紋に用いられるようになったのは、上記理由の外に、妙見信仰(月星の項参照)から発生したものだ とも言われています

七曜:  

 七曜は、七個の星を配置した家紋で、北斗七星紋ともいいます。
日月火水木金土の七曜ですが、これを密教では、貧狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍といい、日輪・月輪・光明照・増長・依枯衆・地蔵・金剛手の菩薩を配しています。
  長寿延命・息災招福を祈願すると天変地変を未然に防ぐものとして崇めてられていました。

六星:

 
    六つ星


    素梅鉢

六個の星を配した家紋で、他の星類の家紋と同じく、星辰信仰からと言われていますが、確たる証はありません。

 ただ、形状で気を付けることは、六個の星の大きさで、中央の星は、周りの五個の星と同じ大きさか、もしくは、比較的大きい。

同様の形状の素梅鉢は中央の星が周りの星より必ず小さいものをさします。

三つ星:

三星は古代中国では三武といい、オリオン星座中央に直列する三つの星があり、中央の大星を「大将軍星」左右南北の星を「左・右将軍」といった。武家の迎えやすい呼称であります。
  ただ、家紋での三星紋は、品の字形に配していて、その形状は簡明なので識別のし易さも家紋への登用となったのでしょう。

  古代中国では、現在では想像もつかない異常な程の情熱を傾けて天を観察し、「時」を知る方法を編み出し、日数を周期で数える方法として六十干支が導入されました。天の運行を十二支としたのが、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二進法、地の運行を甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干とする十進法、この二つの最小公倍数の六十種の組み合わせが考え出されたわけです。
組み合わせは

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸甲乙
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

「甲子」の組み合わせから始めて最初の十二年

丙丁戊己庚辛壬癸甲乙丙丁
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
次の十二年ですが、西暦2000年は庚辰でした。西暦2001年は「辛巳」です。
戊己庚辛壬癸甲乙丙丁戊己
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
干支で三周り目に当たります。
庚辛壬癸甲乙丙丁戊己庚辛
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
干支で四周り目です。

壬癸甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

干支が五周りして最後の癸亥で60年です。癸亥の次は最初の甲子にもどり再循環します。
この繰り返しなので、満60才を「還暦」といいます。