藤紋について  

  藤の花と実

 藤は豆科の蔓性落葉低木で、日本列島では北海道を除く本州以南各地に自生しています。
幹から長くのびた蔓は物にからんで巻き付きます。
  四・五月にかけて30cm〜90cmの花房が垂れ下がり、紫色の蝶の様な花を付け、房元から順次に開花してゆきます。そのあとには藤豆ができます。

 奈良町時代から藤花を観賞することは流行していたようで、歌枕として万葉集に多数歌われています。
文様として衣服に取り上げられるのは平安朝時代になってからで絵巻物等にでてきますが、その表現は写実的だったようです。文様も後に幾何学的に変化してきますが、北野天満宮縁起や三十六歌仙には、藤巴及び藤丸と同型式の文様がみられ、当時流行していた巴紋の影響も加味され、後世、藤の紋章は、ここから始まったと推測されています。

 源・平・藤・橘の四家が覇を競い、まず橘家が衰退しました、次に藤原家の勢力が衰え、源平合戦で平家が滅亡しました。藤原家は一時勢力は衰えたけれど、藤原良房が清和天皇のとき摂政になったのを機に、藤原一族が良房を頂点とする一統を計り、藤丸を一族の紋章に掲げたようです。しかし、藤原氏の嫡流たる近衛家・鷹司家が藤紋でなく牡丹紋を使用していることから、「藤原家の藤紋」はPR不足であったようです。

 さて、戦国の世も治まり武家が台頭してきた江戸期になって、遠藤・加藤・後藤等が藤紋を用いているのは、その苗字に因んで用いられたもので、「指事的」な家紋であって、必ずしも藤原氏の流れであった訳ではない。
 例えば、佐藤・武藤・近藤・尾藤・須藤・首藤・進藤・近藤・斉藤等々苗字に「藤」が付く家で藤紋が多く使用されていることをみても、うなずけます。

  藤紋は使用家が多いので、その分改造・変化に富んでいて現在の紋帳には150種を越えて掲載されています。