木瓜(もっか・もっこう){「木瓜」=植物では「ボケ」と読む。}

  木瓜紋は何を象徴しているのか正直言って謎とされている。
一つに クワ=カ と発音し漢字で書くと「穴カンムリに果」(この漢字がフォントに無いのです)と言われ、字の意味は 木の上の「巣」に対し 地上にある巣を指す漢字が当てられていました。この紋の形状が地上または穴の中の巣に卵子を包み込んだようだと考えられた様です。

 有力説に日唐貿易の際、唐から輸入された御簾(みす)に付けられていた文様で、帽額(モコウと読む)から出たというものです。 帽額は御簾(みす)の上部、上長押(うえなげし)など横に長く引きまわした一幅の布で、額(ひたい)の部分に当たる横幕のこと。 この横幕に付けられていた文様が「カ紋」で、奈良朝期モダンな文様として衣服や輿車に用いられているのが絵巻物などに見うけられます。

 帽額くわ紋(もこうかもん)で略してモコウと呼ばれていた。 沼田博士は日本紋章学に18ページもの解説をしていますが、絵巻物や古文書から「帽額」説が最有力といっています。
  博士が他の説を否定している根拠の要約は 一般に「木瓜」紋というので、家紋帳に「植物」として扱われていて 文字の上からキュウリ(胡瓜)やボケ(木瓜)の実とかいわれている。 しかし、胡瓜の切り口は植物学上3室3子房であるから木瓜紋は三角形が基本形でなければならないのに 四花形が基本である。  また木瓜(ボケ)の実の切り口は5室10子房であるから これを修飾したものともみえない。むしろ「徳大寺家瓜紋」などは、丸くふくれあがってカボチャ(南瓜)の切り口のスタイルである。カボチャは室町期は唐茄子とよばれていました。

 しかし、別の説として、割木香(われもこう)、吾木香(われしこう)だともいわれています。
  源氏物語に出てくる匂いのいいこの花は、ヨーロッパからアジアの温帯地方の草地や疎林のほとりに自生するバラ科の草木で、北陸の山地では唐糸草ともよばれています。「唐」とよばれる俗称のように、外来種の植物で、吾木香は匂いのいい植物の根を乾燥したもの、つまり、今流でいえば、ハーブのはしりみたいなものです。

 褐紫色の花が咲くが、ことに蕾をみると、四つ割りになった木瓜型をしているところから、文様の発想につながった、という説です。(蕾の形で木瓜型は数多くあり、これに限らない)

 言語学的見方では モッコウの語源は一体何でしょうか。「むくれる」「むくむく」「むくみ」 「むくり」「もっこり」などの語幹の「むく」か? または モッコウから これらの言葉がうまれたのでしょうか?(ニワトリが先か卵が先か?)

  歴史的に文献に表れた最初のカ紋使用家としては公家の「徳大寺家瓜紋」となっています。
  武家で木瓜紋を用いたものは 足利時代に入って多くなった。
朝倉・織田・遊佐・秋元・熊谷・折野・松岡・海老名の諸氏の名をあげています。
朝倉氏=三つ木瓜 海老名氏=庵に木瓜 見聞諸家紋には 富永氏=瓜に二引両 遊佐氏=六葉木瓜 岩城氏=二つ木瓜 宮氏=五葉木瓜 大平氏=瓜内に唐花 その他、八木・太田垣・池田の諸氏をあげています。

 戦国大名朝倉氏は日下部系で但馬より越前へ移ってから繁栄しその地方に木瓜紋使用家が多くなったようです。
  織田信長が「織田瓜」を使用したのは清洲へ移る以前の越前時代に、そこの豪族織田家が朝倉家より嫁をもらい、この関係で「木瓜紋」を使用するようになった と伝えられています。
 後に、一向宗徒の家紋へ拡散し北陸全域に普及しました。一向宗が拡散するに従って全国に波及したようです。

  此の紋章のもう一つの分布は近江の甲賀郡で栄えた伴氏の一族があります。大原・上野・篠山・毛牧・大島・山岡の諸氏で「近江の伴の一党」といい、ここの出自の家々は木瓜紋が多い。

形状: 木瓜紋は外郭と内郭それに中部の三部から構成されている。中部には唐花が常である。
外部の数は三葉、四葉、五葉、六葉、八葉といろいろあるが、普通「四葉に花菱が入っているもの」を木瓜紋とよんでいる。
中には、四葉に限り「木瓜」と呼び、他を 「か(瓜)」と区別していることもあるが 「か」と木瓜は同じものを呼び名を替えているだけで、外郭の数による区別はないので、すべて「木瓜」とよばれています。

  木瓜紋は楕円形なのですが外郭の数が増えるにしたがって、次第に円形になる。
楕円形が水平のものを横木瓜、垂直に置かれたら「縦(竪)木瓜」といいます。
   呼称は 三葉=三木瓜(ミツモッカ)・五葉=五瓜(ゴカ)・六葉=六瓜(ろっか)という。
木瓜紋を2個以上合わせて一つの紋章を形成するものを二つ木瓜・三つ盛り木瓜という。 注意:三つ盛り木瓜と二引両を組み合わせたもの=三木瓜に二引両 といいます。

  現在 家紋の呼称・命名などは 或る程度規則性を持たせて表示されておりますが、大正末期以前 つまり 全国紋章規格統一がなされる以前は 「紋所周辺の関係者が理解できればそれでよし」 という自分勝手な呼称が多々あったようです。
「木瓜」も、その一つで「帽額」のあて字から本来の意味をはなれ、植物分野へ分類されて定着したものと考えられます。
  ここでは、敢えて、歴史的見地から「文様」分野へ挿入いたしました。