日用雑貨の家紋

丸に鍵 枠糸巻き 中輪角五徳
三つ組傘 四つ鐶に桔梗    


このような日用雑貨がどうして家紋に選ばれたのか はっきりした理由はわかりまん。  
 1)形のおもしろいのが喜ばれた。  
 2)目立たないこの器具が 思いのほか重要な役割を果たしているのを賞揚した。  
 3)商い用看板に描いた図柄や屋号がそのまま家紋となった。
いずれにしろ こうした雑貨品が紋章に現れてくるのは世の中が平穏になった江戸中期以降といわれれています。
江戸中期以降にこのような紋が現れだした背景を泡逆妻夫著「家紋の話」から部分引用させていただきます。
「 粗悪品防止・生産者の責任を明らかにするため(現在の製造者責任法のはしり)支配者から署名や印を強要されていたのですが、生産技術が向上するにつれて、その印は生産者の信用につながり、名産地・名工品等のブランド品としての価値観を表す印に変わってきました。 ブランド品として 古く刀剣類で「名刀 正宗」などです。 織田信長は茶の愛好者でしたから 陶工を大切にし、特にすぐれた陶工を6人選び、この人たちに窯印を与えました。 
  それは○、△、十、ィ、□、丁といった単純な印でしたが、その窯印をつけた作品は優秀な物として、誰もが認めるようになりました。そのうち、他の製品の数や種類が増え、複雑になってきて、その印も多種多様になり、酒や菓子 薬などにも印がつけられました。
 一方、商家では屋号をもち、店の暖簾に印をいれるようになりました。 はじめの頃は単純なもので、丸や四角、山形の下に主人の名の一字をいれるなど、文盲の多かった時代にこのような印は重要な役割をしていました。そのうち、庶民はそれに物足たなくて、完成した紋を使いはじめました。もっとも、これはすぐに上流階級から禁止されました。下流階層が同じものをつかうというのは、上流階級の人たちには我慢がならなかったことでしょう。
  何時の世もそうした風潮は変わらないものです。
 そこで、庶民はこれまで紋にならなかった素材を選んで、新しい紋を作るようになりました。
 日常、身の回りにある、鍵・糸巻き・三味線の駒・羽子板・五徳・炭など家紋として由来がはっきりしないものですが、それらを商っていた商人が作ったのでしょうか。商標が転じて家紋に脱皮した。
その外に宝結び・金輪などの幾何学模様。ヤジロベエの豆蔵・将棋の駒・まりなど、さらに 明治の紋帳には「土星」が出てきます(E-mailで小学生から土星紋の由来の質問を受け ホトホト困惑いたしました)。