「矢」

 矢の出現は実に古い。原始社会以来 生活を守り、敵を防ぐ武器として、また遠距離射撃用として鉄砲が普及するまで、飛び道具として華々しく、広く使用されるに至りました。
 「矢尻」は時代とともに素材が変化しました。石・角・竹などから銅・鉄へと進化し、形状も狩猟用と戦闘用と儀式用と時代と共に区別がされだしました。
 矢柄(矢の主体)も柳・篠竹・葦などを用い、矢筈も狩猟用・戦闘用と儀式用とは区別されました。
「家紋」では、全体を図案に起こすと重量感が薄いので、矢羽根のみ・矢筈のみ等部分的に表現したものが多いです。
また、尚武の節句に使う「矢車」などがあります。

「矢」が紋章として登場した由来は、平安時代から鎌倉時代にかけて「武家は弓矢をもって覇を唱え、武神と崇められた八幡大菩薩を「弓矢八幡」といい、「弓矢取り」といえば武家のことを指すほどでした。したがって 神事祭妃用や武家間の儀礼用に弓矢が登場することもしばしばだったと思われます。 
  現在でも五月節句の破魔弓・豊作祈願の百々手(ももて)祭り・新築の棟の上に弓矢をあげる 等々は邪気を祓う民間伝承としてのこっています。

 弓矢の神霊的意味あいから、おもしろい話があります。
  村と村の境が紛争の火種になっていたころ、その境界線を定めるのに、少年か盲人を使い、神に祈祷して矢を放ち、届く限りが村の範囲であった。矢の届く範囲に邪気がわだかまることは有り得ない。 矢の刺さったところは神の意志によるとろで何人も異を唱えることはしなかった。その時使用されたのが良く目立つ白い矢羽根の矢なので「白羽の矢」の言葉がうまれたとか。
  笠懸・流鏑馬・通し矢など神社仏閣の神域にて行われる行事など全国的にも有名な行事も多々あることなので、そのへんから由緒を頂き 家紋としたのではないかと推察します。