鷹・鷹の羽紋

  鷹の羽がどうして 紋章化されるようになったのか?
少なくとも矢羽根使用によると考えられる。 古くは鷹・鷲の羽根を主として用いている。
  強い鳥の羽根は狙った獲物をよく射止めるであろうと考えられたからでしょう。

鷹の羽紋は、秀吉の朝鮮出兵で多くの武将が北九州に集まったときを境に東進が加速したようで、それまでは北九州一円の武将の多くが「阿蘇神社」の神紋であった「鷹の羽」紋を武運長久を願って使用していたようです。

古代 タカは猛々しい果敢な性格から霊界と現世をつなぐ霊媒者とみなしたことと、高い木に巣作りする習性から高い木に宿る神の化身とみなして信仰の対象とした・・(阿蘇の神紋の由来)。

鷹狩りの狩猟法を日本へ持ち込んだのは百済人とされていますが、この狩猟法そのものは大陸北方の騎馬民族のものであります。(大陸南方からは、これと対照的狩猟法として鵜飼いが渡来しています)。

源頼朝が封建的武権の府に坐ってから、それまで途絶えていた鷹狩りを武将や部下の士気を鼓舞するために奨励し幾度か大規模に行っています。しかし、度が過ぎ、多人数が田畑や山野を荒し回るため神社の贄鷹(ニエタカ)以外は鷹の飼育を厳禁しました。
  鎌倉期以降 西園寺・持明院・二条・九条などの四家を筆頭に尾張の小笠原、美濃の土岐、信濃の弥津・屋代などの各流派が存続し、免許皆伝の口伝書などもこのころに出来たようです。
  室町期になると、乱世に備えるため武将が競って放鷹を行い、鷹を引き出物に贈られることも盛んとなりました。 家康が慶長十七年正月三州吉良に放鷹し鶴を捕り朝廷に献上したという記録もあります。以後恒例となり、諸藩もこれにならって鷹狩りが盛んになりますが、将軍綱吉のとき「生類哀れみの条」で廃絶となりました。
その後、吉宗のとき、鷹匠・鷹場・鷹装束が制度化されて、また復興し、以後、明治維新までその制度が継続されました。